そろそろ通常運転に戻りたいものです。
自分でも思ってるんですよ。
手始めに、前々から紹介したいと思っていた書籍を持ってきました。
こちらです。
この泡坂先生。
なかなかの曲者でいらっしゃいます。やってくれました。
推理小説の作家として活躍された方なのですが、そもそものご職業が何と、紋章上絵師(もんしょううわえし)!
それぞれの家に伝わる紋を着物に描き入れる、というお仕事をなさっていたのです。
って、分かったように書いてみました。
が、本当に理解しているのかとツッコまれたら、私の自信など簡単に揺らぎます。
そこをあえてお勧めしたいのが、テレビ番組を思い出すという方法です。
ただのテレビ番組じゃありませんよ。NHK教育の「デザインあ」と言えば、もうお分かりでしょう。
番組内のミニコーナー、にっぽんの「もん」。
もう予想がついていますね。
そう、私はこのコーナーを観るのが大好きであります。
ついつい観入ってしまいます。前に見たことがある回でも、何回でも観ていたい。
このコーナーの中で、作務衣のような服を着た人が木製のコンパスらしくものをくるくるさせるシーンがあります。
このシーンを見ることが、紋章上絵師をイメージするのに、一番手っ取り早い方法と言えるでしょう。
ちなみに、ほとんどコンパスに見えるこの道具は、正確には「分廻し」と言うそうです。
ご覧ください、この見開き。
「デザインあ」の「もん」を観たことのある方は、もう思い出しましたよね。
この本もコーナーの元になったとしか思えません。絶対使ったな、これ。
とにかく、この本が面白かった。
つねづね西洋かぶれな私も、しっかり日本人に立ち返らせてくれました。
興味深いこと、この上ない代物です。
たとえば、こんなページ。
左ページ、一番下の段に「土星」があるのが見えますでしょうか。
何と、日本の家紋には、土星があるのです。本によると、明治あたりから登場した家紋のようですな。
自分も西洋紋章で土星を入れてみようかと何度かチャレンジしましたが、いやぁ、ダメでしたね。何とも、しっくりこなかったのです。ギブアップしました。
もちろん歴史も振り返ってます。
武家、戦さとの関係は切っても切れません。
歌舞伎とも濃密な関係であります。
家紋が発達する以前の状況、つまり前史も含めると、家紋の歴史は大体このような流れになるようです。
・縄文土器に見られる文様の流行。
・のちの仏教美術からの影響。
・平安時代における織・染・刺繍などの技術の進歩と、模様素材の多様化。
・武家などの特権階級との濃密なつながり、需要。
すごく、ざっくりした言い方をすれば、ですが。
さらに興味深いのは、泡坂先生が巻末に付け加えた一章。
先生は「上絵師小紋帳」と名付けます。
家紋の枠と言える丸をあえて取り去って、また模様に戻すのも、家紋の可能性を広げるのではないか、と挑戦なさっているのです。
ご覧ください、このヴァリエーション。
目がチカチカしてます?
でも、それでいて思わず線を目で追ってませんでしょうか?
もちろん、これらの写真は章全体の一部分です。
この記事を書くにあたって、久々にページを開きましたが、泡坂先生のお気持ちが分かる気がしました。見れば見るほど、そう思います。
自分もなぜ模様紙を作ってしまったのか、自身を不思議に思っていましたが、これで判明しましたね。
って、また、その話?!
結局しつこいというわけで、今回の紋章は、模様を駆使します。
模様メインです。
こんな感じ。
まだ、皆さんのご記憶にございますでしょうか。
そう、10番の模様紙です。
こいつが元ネタだったんですよ。ふっふっふ。
また写真を多用してしまった。あっという間に長くなりますな。
今回はここまでに致しとうござりまする。
では、また。